私の母はまめな人で、自分でできるものは何でも手作りしていた。小さい頃の洋服は勿論のこと、和裁をしていたので着物や浴衣も作ってもらった。家を飾るものは母が作ったパッチワークや刺繍の入ったものだったし、玄関に置かれた造花も母の手作りだった。今でも我が家を飾るのは母が作ったものであふれている。
食べものに関しても梅干し、漬け物、お味噌は作っていたし、お出汁はきちんと昆布や煮干し、かつおぶしでとっていた。食べることが好きな人だったので、家族で美味しいものを食べに出かけては、どうやって作るのかと悩みながら家で挑戦していたのを覚えている。
母の母、私にとっての祖母もとてもまめな人だった。食べ物のお店をしていた祖母は調理師免許をもっていて、料理の仕方がとても丁寧で無駄がなかった。お出汁をとったあとの昆布で作る佃煮や漬け物の古漬けでつくるこの地方独特の郷土料理など、子どもには食べにくい昔ながらの茶色いおかずたちも祖母が作るものはなぜか美味しく感じられた。
お酒を飲まない母と、お酒をたしなみお店でお酒のあてを作っていた祖母が作る料理の味は親子にもかかわらず面白いほど違ったけれど、私にとってはどちらも「おふくろの味」で、私の作る料理の基盤となっている。しかし、二人の居ない今彼女たちが作った料理の味は記憶の中にしかなく、ふとしたときに味を思い出しては、もっとちゃんと作り方を聞いてメモをとっておくんだったなぁと今更ながらに後悔している。が、そんな私を見てきっと二人とも「自分でがんばり」とにやりとしているにちがいない。
私が作る料理が二人の味を受け継いで、そしてそれがまたはるへと受け継がれていくのだと思うと半端なことはできないなぁと背筋が伸びるような心持ちになる。記憶の中の味はなんとも手強く、私はまだまだそこへたどり着けそうにないけれど、未熟ながらも精進していきますので、どうか明日もみんなが美味しいと笑顔になれるものが作れますように二人とも見守っていてくださいまし、と話しかける日々なのでありました。

WrittenBy: 野出侑良
食べものに関しても梅干し、漬け物、お味噌は作っていたし、お出汁はきちんと昆布や煮干し、かつおぶしでとっていた。食べることが好きな人だったので、家族で美味しいものを食べに出かけては、どうやって作るのかと悩みながら家で挑戦していたのを覚えている。
母の母、私にとっての祖母もとてもまめな人だった。食べ物のお店をしていた祖母は調理師免許をもっていて、料理の仕方がとても丁寧で無駄がなかった。お出汁をとったあとの昆布で作る佃煮や漬け物の古漬けでつくるこの地方独特の郷土料理など、子どもには食べにくい昔ながらの茶色いおかずたちも祖母が作るものはなぜか美味しく感じられた。
お酒を飲まない母と、お酒をたしなみお店でお酒のあてを作っていた祖母が作る料理の味は親子にもかかわらず面白いほど違ったけれど、私にとってはどちらも「おふくろの味」で、私の作る料理の基盤となっている。しかし、二人の居ない今彼女たちが作った料理の味は記憶の中にしかなく、ふとしたときに味を思い出しては、もっとちゃんと作り方を聞いてメモをとっておくんだったなぁと今更ながらに後悔している。が、そんな私を見てきっと二人とも「自分でがんばり」とにやりとしているにちがいない。
私が作る料理が二人の味を受け継いで、そしてそれがまたはるへと受け継がれていくのだと思うと半端なことはできないなぁと背筋が伸びるような心持ちになる。記憶の中の味はなんとも手強く、私はまだまだそこへたどり着けそうにないけれど、未熟ながらも精進していきますので、どうか明日もみんなが美味しいと笑顔になれるものが作れますように二人とも見守っていてくださいまし、と話しかける日々なのでありました。

