12/28:Love you! Django♪

Djangoから取り置きしていたCDが届く。
■橋本徹編/ ITALIAN TWILIGHT JAZZ BOSSA LOUNGE
■ENNIO MORRICONE/ IN LOUNGE 3   
■FRANCE GALL/ANTHOLOGY   
■DUSTY SPRINGFIELD/WHERE AM I GOING
■SWISSY/SHE SMILES   
幼少の頃、大学で音楽の講師をしていた母からスパルタ音楽教育を受けてちっとも才能が無いことがわかり、以後音楽を敬遠してきたわたし。音楽を聴くのは好きだけど、母は3歳児に理論を教えようとしたので(この記号は何拍でどうたらこうたら)、わたしは人生早々ギブして母にご寛恕願った。というか、脱走した。
今にして思えば無茶なのは母だろう。弟にバイオリンを教えるというのにも挫折していた。教師が子どもにもよい教師であることは稀という例なのかな。
なにせ、こわかった。
10月にDjangoに行った時、「こういう感じの音楽がすき」等と話してたら、次々とCDをチョイスしてくれた。で、聞いてみたらこれがとてもいい。特に橋本徹よる「ITALIAN TWILIGHT JAZZ BOSSA LOUNGE」とSWISSYの「SHE SMILES」が特に。論文書きながら聴くのに本当にぴったり。SWISSYなんかは「よくこんな人見つけてきたなあ」って感じで、胸がきゅんとなる。もっと聴いていたいと思う。
swissy.jpg
まめすずさんに「あなたはパティシエ?菓子職人?」と聴いたとき、うーんと考えたまめすずさんが「自分は素材たちのとりまとめ役」と結論したのには感心した。
彼女の一本筋の通った姿勢と思考には、軽薄なわたしは学ぶところが大きい。
で、Djangoに関しては、彼はただの右から左のレコード屋ではなく、「音楽と人を出会わせる媒介人」なんだと思う。Djangoを知らなかったら出会えなかったすてきな音楽がたくさんある。まだ出会って1年だけど、この1年ですてきな音楽とわたしをたくさん繋げてくれた。これがプロなんだと思う。お客の好みに応じてサンプルを差し出すDjangoの五感に狂いはない。
うれしいことに、包みの中には「櫻井さんのwedding party vol.2」と書かれたCDが同封されていた。以前頂いた「櫻井さんのwedding party」のCDはvol.1だったのね…ありがとうDjango!で、面白いことには、「とってもハッピーな気持ちになる音楽」ばかりを集めたこのCDたちは、本当に元気になるのだけど、論文を書くときには不向きであるということ。うきうきしちゃって書けないの!
さすがDjango屋~。
こんな心づくしになんとお礼をすればいいものか。
近未来、店舗をたたむ予定のDjango
取引先が音楽業界外の企業に買収されて、儲からない事業は切るという方針から利益15%+返品不可という条件を叩きつけられてしまったちいさなお店の立場の弱さ。はとぽっぽは母親から何億というお小遣いを貰っているのに、
ちいさな文化は淘汰されてゆく。これってなんだかひどい話。
がんばってね、というのは簡単。でも何とかDjangoという音楽媒介人のプロに、
彼が輝ける場をキープしつづけて欲しい。Django、地道に支えるからね!
ということで、
何度も書いていますが、もし何かお求めになりたいCDやDVDがありましたら、ぜひDjangoの通販をご利用くださいね。
WrittenBy: 櫻井香萌

12/26:孟友山

占い師・孟友山についてお問い合わせがありましたので、あらためて記します。
まず、京都の三条大橋から徒歩1分。明治屋の向かいに事務所があります。
孟さんの見た目は小澤征爾がメガネをかけた感じです。九州男児で訛りがあり、
超早口でヒアリングが追いつかない懸念があります。また、メモを書きながら説明してくれますが、このメモが日本語筆記の体をなしておらず、
まず読めません。ので、わたしは毎回自分でメモを取りながら聞きます。
次に、オーラに圧倒されてるうちに「わかるね?わかるね?」と一方的に念押ししながらだーっと話していくので、わからないときや、意味がとれない時はきっぱりと「わかんない!」と言いましょう。また、事前に何をお聞きになりたいかご自身でメモにしておかれることをお勧めします。孟さんに圧倒されて、聞くべき事を忘れる場合があるからです。
鑑定は、出生時間と耳のかたち、額を見ておこないます。最初に教えてくれる大概は1.生まれてきた意味 2.個人にとっての色と数字、方位の関係 3.名付け(個人のキャッチコピーのようなもの) 4.相性…などです。あとはその都度お聞きになりたいことをご相談ください。
「いいことも悪いこともすべてその人らしく発生する」というスタンスなので、少々キツい発言もあるかもしれません。打たれ弱い人はご用心。
そして、ヒアリングにもじゅうぶんご注意を。


孟友山〈もう・ゆうざん〉
1回30分4000円 要予約 10時~19時(不定休)
京都市中京区三条通河原町東入中島町83 はせ川ビル3F
075-211-2278
WrittenBy: 櫻井香萌

12/05:背の高い女

アホみたいな話だけど、わたしは自分が虚弱体質だと最近まで思ってなかった。
風邪なんかその気になったらひと冬持ち越せるほど病気ばっかりしてるのは、
自己管理能力が低い上に根性がないのだと思っていた。
喘息が持病でも、肺虚陰証であっても、敏感肌でも、不眠症でも、幼稚園から今日まで、病気をせずにすごした1ヶ月がなかったとしても、血管が細すぎて点滴できなくても、血液薄くて貧血でも、背筋力が30でも。
わたしはアホなのだろうか。
西洋医からも東洋医からも「虚弱体質」という医学的ならぬ見解をもらい、
この年にしてようやく「わたしはヘタレ」と認知する。
どうして自己認知が足りなかったのかと言うと、わたしの身長は172センチあり、
骨格もレントゲンは115%拡大かと思うほどほれぼれするような骨太であるからして、近代的モラルなき輩から常にサブリミナルのように、「大きいわね」「何か運動してるの」「丈夫でしょうね」と言われて来たのであった。
よってして、わたしは「自分は丈夫で健康」と誤認してしまったのだった。
まことに大きなお世話である。断っておくが運動などなにも出来ない。
平らな道を歩いていてもつまづくし、考え事をしつつ歩いていて西本願寺郵便局前の電柱に何回激突したか、数知れない。
背が高いことは、誤解と誤認を招くだけで、いいことなんかなにもない。
小学校1年生の時、クラスいちのチビが先生の首に抱きつき、わたしを見ながら、「女の子はちいさい方がかわいいよねー」といい、阿呆の先生もまた「うん」と言ったのを、執念深いわたしは29年忘れていない。
手足が長いので、胴周りばかり大きくて袖裾の短い日本の服には散々苦労した。ジーンズの裾も切ったことがない。靴もなかなかよいものがない。
その点ヨーロッパにいくとすべて選び放題で、サイズの多様性に
「わたしってガリガリかつ標準じゃん!」と歓喜したものだった。
日本国で暮らしていて、背が高くてよかったことなんか、なにもない。
それにしても、かように「思いこみ」とはおそろしいものである。
この体格で幾星霜を経て、多少面の皮も厚くなった。
以前は初対面の人から「大きいなー」と言われたら、はいはいさようでございます、アタマが軽いから上に上にと伸びたんですううーと合わせていたが、
最近は「大きいなー」と言われると「知ってます」、もしくは「あなたが小さいのです。わたしはヨーロッパ基準ですが、あなたは昭和基準なのですのね」
と満面の笑みと愛想フルスロットルで丁寧に言うことにしている。
根性悪いですか?ごめん。でも男性に言われると余計に言いたくなる。
その昔、祇園の男・甚は「背の高い女は愛する面積が広いからええやないか」とのたもうた。色ごのみの言うことはまことに粋であった。
まめすずさんと話していると、「大きいな」と言われてムカついてきた過去を共有しあえた。えぜこさんと話していると、自分に合った靴を探す苦労を共有できた。
まめすず173センチ。えぜこ168センチ。わたし172センチ。
みんな背筋の伸びた、姿勢のよい女子たちです。
WrittenBy: 櫻井香萌

12/04:気とご縁

最近「気」についてよく考えます。
「気が合う・合わない」は、理屈や礼儀作法を越えた次元のことだと。
人見知りもせず、たいていの人と話を合わせ、たのしむことができても、
それはコミュニケーションの術にたけているだけのことで、
やはり「気が合う・合わない」の問題とはちがう。
どんなにくち下手でも、恥ずかしがり屋さんでも、
「気」脈を通い合わせることができれば、居心地は悪くない。
でも、別れたあとに胸のあたりがざらっとすると、
「この人といると疲れるな」と感じた証拠。
直感はどんなロジックをもってしても、誤魔化したり、修正することはできない。
つくづくと「気」こそが個性であり、その人を知る鍵だと思う。
その人を見たときの、自分の直感もまた。
わたしの周囲で突出して清浄な「気」を放っているのが、実は師と隊長である。
たぶん互いに否定し、いやがるだろうけど、放っている「気」が似ているからこそ、顔も形も違うのに、いろんな人から「似ている」と言われるのだろう。
「気」が清浄で端正であるということは、
生まれつきのものであり、自分の思考の埒外だから、
努力で購えるものではない。
パビリオンブックスカフェの隊長が放つ「気」も超清冽、かつ端正でした)
まめすずさんに「見えないお供を10人ぐらい従えているような感じ」と言われ、
友からは「登場するときのBGMは「篤姫」のオープニング」「宝塚の参勤交代」などと言われるわたしは、
さしずめ威圧感という「気」を撒き散らかしているのだろうか(そうなの?)
ぜひともやわらかい、やさしい「気」を放ちたいものです。


「ご縁」についても、これは異なもの妙なもの。
神の意の部類にはいることなので、個人の力ではいかんともしがたし。
必死になって動いているときのほうが余計に窮地に陥ってしまうもの。
まっすぐな道を猪突猛進するのではなく、
「ま、いっか」とちょっと休憩したり、
わきにそれてみたりした時にこそ、ひょっこり繋がったり、叶ったりする。
ただ、「ご縁」という言葉は物事が一段落ついたときにこそ
「あの時はわからなかったけど、今から思えばあのときのあれが…」
と思うのが本当で、
その時々に自分に都合のいいように現実を解釈する手段として「ご縁」という言葉を軽々しく振り回すことは、不遜であり、わたしは好まない。


人と人との偶然の繋がりが実を結び、ひろがってゆけますように。
あらゆる出会いと関係をたいせつに思い、感謝することの多い昨今でした。
WrittenBy: 櫻井香萌

11/25:イケズ

先日、四条に出かけた際、愛するレトロ喫茶で愛するクリーム入り珈琲と、愛する期限限定ショートケーキを賞味していると、わたしと席が20センチしか離れていないとなりのご婦人と、レトロ喫茶のマダムが世間話をはじめました。
ご婦人は察するに京都の老舗料亭の女将の模様。まずはひとしきり四条木屋町下ルにあるという老舗割烹の若女将の悪口を披瀝し、「あんな心根では店持ちまへんわ、挨拶ひとつまともにできへん癖して下で使うもんしつけられますかいな。お昼の懐石もたいしたことあらへんのに、あの値段取ってほんまにえげつない」とバッサバッサの袈裟切り。
次の鉾先は雑誌社で、「いろんなとこから載せさせてくれゆうて来ますねんけど、もう田舎の人がそれ見てようけきはるからかなん。店が軽うなる。
取材の人ゆうて来るんは行儀も知らん田舎もんばっかりで、畳の歩き方も知れしません。障子の開け閉めもおざぶ(座布団)の使い方もなんにも知れしませんのや。こないだかて、写真載せるから鴨川で野点せえ言いますねん。
アホかいな、野点言うたら春どっせ。冬の河原で野点するアホおりますかいな。
なんにも知らんもんはこれやからかなわん。着物やったらなんぼでもあるのに、服(洋服)着てくれいわれますねん、何で服なんか着なあかんのん。
こないだもお道具(茶道具)使うんに、こんな子らには値打ちわからんやろと思うてそこらへんの茶碗出したらえらい感心して褒めますねんか。高島屋でこうた5000円の茶碗どっせ。箸の上げ下ろしもなってないし、食事のお作法も見苦しいし、どないな育ち方やと思いますわ。箸、家にあらへんのか?て思うほどですねん。ほんまにこれやから田舎の人は難儀なことや…」やそうです。
その雑誌とは、こだわりのあるセレブなマダムたちの二大愛好書でした。
さらには、「畳を歩くときはすり足で、しかし本当にはすらず、少し浮かせて歩くお能の仕舞を心得ていないと美しく歩けない」のだそうです。
結論的には「茶道・お能の心得あらずんば人にあらず」みたいな感じで、このふたりを組み伏せられるのは白洲正子以外にあるまいと思った次第です。
いやあ、面白かったのですが、ああまで下々のお客(わたし)の前で他人の辻斬りをせずともよかろうものを。わたしは愛しのショートケーキを無心に賞味する客を装いつつ、市原悦子並に津々と聞き入ってしまいました。東京の出版社が京都本を出し倒しているのを、こうしたネイティブ・キョウトのご婦人方は、アレ田舎者のうれしがりよと、鼻で笑っておられる様子がよくわかりましてございます。


かと思えば別日、わたしの講座を受けて下さっている生徒さん(60代)が、「あのね、先生、こないだわたしのお友達が美智子さんとテニスしはったんやけど…」「え?美智子さんって、どちらの美智子さんですか?」「あら、正田の美智子さんよ」とのこと。こんな会話がわたしごとき下々の身分で拝せようとは、京都はなんと恐ろしいところであろうかと、わたしはこころの中で深く合掌したのでありました。
WrittenBy: 櫻井香萌
«Prev || 1 · 2 · 3 · 4 · 5 · 6 · 7 · 8 · 9 ·... | | Next»

▶Home

▲Page Top