11/12:THIS IS IT

MJ…無印良品ではありません。マイケル・ジョーダンでも、みうらじゅんでもありません。奈良県五條市出身のわたしにとってUKはUNITED KINGDOMではなく、謀図かずおであるように、MJ as known as マイケル・ジャクソンであります。
先日、レイトショーで観てきました。「THIS IS IT」。
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実は観るまでためらいがあったのです。
「完璧主義のMJが、リハ風景のオムニバスを公開することをどう思っているんだろう」と思ってしまって。でも、本当にすばらしい作品でした。
MJの日常会話での声と言葉遣いのやさしさ、謙虚さ、慎ましさにびっくり。聞き取りやすい英語で、自分が語りかけられているかのように瞬時うっとりしてしまう。
リハ風景ながらひとつの作品の体裁をなしていました。ああ、このステージを観たかった。ダンスのキレや様子を見ていても、明日、明後日に死ぬ人にはとても見えなかった。やはり医療過失でしょうか。詮無いことながらますますその死が惜しまれる一方で、「もうじゅうぶんだよと神様が言って下さったのだろうか」とも思ってしまう。MJはショービズに生きるには、繊細で優しすぎたのだと思う。
膨大なクレジットの長さが、MJにまつわる利権の長さか。しかし上映後、会場はひとつになったようにしんと静まり、あかりがともされるまで、誰も席を立ちませんでした。みんなで余韻にひたっていた気がします。ほんとうに、偉大な天才でした。
児童虐待の汚名を着せた検察官、ゆるせない。
マイケルほんとうに愛してる。考えただけで涙が出てしまう。
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帰宅後はMJ祭り。隊長とともにMJをしのぶ。
上映が27日まで延びたとのこと。
興味がおありの方はぜひお運び下さい。
このステージがいちばんすき。
「THIS IS IT」を観たことで、MJがわたしが思っていたようなMJであったことがたしかめられて、そのことがとても、とてもうれしかったです。
WrittenBy: 櫻井香萌

11/02:奈良日和〈5〉

奈良に行きました。
正倉院展と阿修羅展が同時開催されている連休最中の奈良に行くことは
火中の栗を素手でわし掴むような行為でありますが、
「紫檀木画槽琵琶(したんもくがそうのびわ)」と
「平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)」をどうしても見たくて
「連休なか日の平日朝イチならまだ空いているかもしれない」と目論見、
近鉄電車に乗り込んだのでした。
小走りに歩いて、奈良国立博物館についたのは8時50分。
ああ、わたしはまだまだ世間を知らなかったのです。
博物館横の駐車場には観光バスざっと10台。
博物館前には長蛇の列が今や遅しと開館を待っているではありませんか。
ここまできたからには、とわたしは黙ってその後塵を拝し、
自分より目上の方々と押し合いへしあいながら、
御物の数々を鑑賞したのでありました。
光明皇后の藤三娘の署名なる「楽毅論」(王義之)の書写、
聖武天皇遺愛の緑牙撥縷把鞘御刀子(りょくげばちるつかさやのおんとうす)、
ガラス玉を貫いた子日目利箒(ねのひのめとぎぼうき)、僅かに残る蘇芳色の花文が美しい子日手辛鋤(ねのひのてからすき)、稜花形の漆花形箱、
美智子皇后が養蚕された小石丸(純日本種の蚕)を正倉院事務所が拝領し、
文書を元に復元模造した羅・綾・錦などが特に印象的でした。
後々図録を註釈と本文を行きつ戻りつしつつ読み耽るのも甘美な時間。
ほんとうに行ってよかったとしみじみ。
かわいいばんび。
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おしりははーと形。
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五十二段が工事中で度肝を抜かれる。一瞬「なにしてくれとんねん」的気分。
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その後はパトリでお昼をいただき、オーナーえりりんさんにご挨拶し、図録を熟読。
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和流創でスタッフさんと1時間世間話をし、懇意の風水師坂口さんと1時間人生相談をし、Djangoに行って「最近どうよ?」的な会話を2時間して、エンニオ・モリコーネのCDを求め、最終目的地ちちろにたどり着いて飲んだ真水は甘露でした。
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焼きたてのきんつばを賞味し、まめすずさんに正倉院展の感動を図録を示しつつ一方的に熱く語り、さらに「人生どうしよう」的な話を散々聞いてもらい帰洛。
冬の到来初日のこの日。ちちろはストーブが入って暖かでした。
奈良県内のすべての情報が文芸的な筆致で網羅された「奈良手帳」もRAHOTUで入手できて、大満足。奈良を愛する方には必携です(もりもりありがとう!)。
がんばれ、Django!ありがとう、まめすず
次は「」でおでん食べようね。


唐招提寺にいきたいなあ…。
WrittenBy: 櫻井香萌

10/23:etw+渋さ知らズ

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普段は静かなカフェギャラリーetwの夜。
磔磔で霜村さんにチラシを頂いたときに、
「21日はわたしの誕生日なんです」
「じゃあ今日と同じシャツを着て来てくれたら覚えます」
なんて話ながらお別れした19日。
耳下腺炎で右耳がほぼ聞こえない+口内炎+ものもらい+微熱の中(右半身全滅)、19日と同じシャツでetwにゆく。
まみえたるは、
渋さ知らズの3人の舞踏家(松原東洋・霜村佳広・長谷川宝子)たちのダンスパフォーマンス。
同じポーズを同時にとっても、3様に違う表現を見せる不思議に目を見張る。
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舞踏家とは、指先の震わせ方ひとつでこれほどの情動をほとばしらせるものなのかと。長谷川さんをずっと観察していて、目の色がすうっと変わっていくのを観たとき、ああ、やはり「憑く」のだと思った。
なにかモノに憑かれたような状態の中で、でもプロとして緻密な計算と技術に基づきながら狂うて魅せるという状態に、観る側は魅了される。
モノを書くわたしにもその状態の恍惚感、飢餓感、忘我心は共有できるのではないかと、おこがましくも思ったりして。
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でも腕の筋ひとつ、足の筋肉ひとつの動かし方、爪の先の先まで張り巡らされた神経に、自分がいかに身体を取り残しながら脳だけで人間をやっているかを思い知る。天に向かい跳ねる躍動よりも、地に根を張った振動のほうが、より強靱な筋力を求められるのではなど思いして、能はやはりタフな肉体と精神が求められる舞楽なのだと思ったりする。
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歌詞を聴かせる音楽や愛欲の小説は、自分の中に物語があるのであまり外部に向かってそういうものを求めないタチだ。
小説や映画で『愛の流刑地』等々が流行っても、当時のわたし自身がすっごく面倒くさい男関係の中で6年間も真っ当な異性交遊を自ら排し、日々各種各相の泥沼精進に24時間体制で対応するに余念がなかったために、全く興味が無かった。
お金を払ってまで自分の日常生活の延長みたいなものを観たくはなかったのだ。
人は、自分に無いものを自分の外部に強く求める。わたしの場合、それは身体性だと思う。身体を置き去りにして頭だけで生きているから、パフォーマーや舞踏家に惹かれてしまうんだなと気づいた。
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霜村さん、わたしとわたしの誕生日を覚えててくださってありがとう。
渋さ知らズのTシャツ(←カッコいい)の購入を迷うわたしに
「買って下さるとおかずが一品増えるんですが」とはリアルでした。
松原さん、わたしと隊長を覚えててくださってありがとう。
お気遣いがとてもこまやかな方なのですね。
長谷川さん、わたしをおぼえててくださってありがとう。
あなたのきれいな目は、とても雄弁にあなたのこころの内を物語るのですね。
お三方からいただいた「お誕生日おめでとう」にとってもハッピーな気持ちでetwを後にした夜でした。
今頃名古屋公演でしょうか。また京都に来て下さいね。
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WrittenBy: 櫻井香萌

10/19:磔磔

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ゼミが休講となった今宵、磔磔渋さ知らズのライブを観にゆく。
渋さ知らズは隊長の趣味で最初は物見遊山気分だったのだけど、
あにはからんや。2時間ぶっとおしで踊り狂う。
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最近ちょっとした問題を抱えていて、でもそれは自分で解決できることではなく
待つことしかできないことだったので、ちょっとくさくさしていた。
そんな時に恵文社に行って思索的な本を読み、余計に求道的になってほぼ腐敗していたのだけど(いや、恵文社はだいすきな場所なんだけど)、
人間悩みに悩み抜いたら、最後はもう踊るがよいと発見した夜。
踊り念仏の発動思念ここにありかとはやとちる。
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渡部"Fisherman"真一、経ヌキの耳無し法一・松原東洋、セクスイー踊り子・ペロさん等々といっしょに写真を撮って頂く。21日はetwで渋さ知らズのダンサー3人が投げ銭制のダンスパフォーマンスをするという。
21日は誕生日。記念になるし、行ってみよう。
WrittenBy: 櫻井香萌

10/15:軽蔑

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この映画を観たのは中学生のとき。深夜放送で観て、さっぱり意味がわからず、いいものなのかわるいものなのかよくわからないのに、ブリジット・バルドーの姿にはショックを受けました。
時は1980年代。まだ日本人の眉はぶっとくてナチュラルメイクという技術の粋の結晶は野に下っておらず、全体的にもさーっとダサくて、「あらまほしき大人の女のローモデル」がいなかったわたしにとって、バルドーの存在は「これだ!」と稲妻が走るような衝撃でした(なれるわけもないのですが)。


監督・脚本はジャン=リュック・ゴダール。正直、この人がエライ監督とは知りませんでした。ただモラヴィアの原作を読んでいたので、そっちの方に好奇心がありました。もちろん、アルベルト・モラヴィアは高校1年生で読んで、まったく意味がわかりませんでした。音楽はジョルジュ・ドリュー。
美しい音楽が全編を底流しています。


この映画は戯作作家のポール(ミッシェル・ピコリ)と妻のカミーユ(ブリジット・バルドー)の愛が壊れてゆくさまを描いた映画なんですが、要するにアメリカ資本の映画会社に依頼されて心にもないシナリオを書き、マンションを購入する道を選んだ夫に対し、妻が軽蔑心を抱くことがそもそものきっかけです。
資本主義に芸術家としての矜持を売り渡したことに苛立つ妻。でも夫にはそんな妻の態度がただの「不機嫌」だとしか思えなくて、不機嫌の理由がわからないから、どうしても溝を埋めることができない。妻はさらに夫の鈍さに苛立ち、夫がすることはすべて裏目に出て、そして…という筋。
男と女のディスコミュニケーションのみならず、当時のヨーロッパ映画界が抱いていた葛藤(そういえばこの時代のフランス映画にはよくアメリカ人が悪い意味で登場する気がする)も示唆されています。


この映画のすごいところは洗練された色彩美。これが1963年(昭和38年)の作品だなんて信じられない!日本はもっともっともっとダッサかったはず!ポットにも、服にも、その他日用品にも、よくわからない花柄や、よくて英字新聞のコラージュなんかが「おしゃれなカンジ」としてデザイン界を跋扈し、「シンプルな洗練」は「シンプル→味気ない→禁欲的→貧乏くさい(だって戦後16年ですから)」と思われていたフシのある時代。
それこそ向田邦子さんのように、シンプルでカッコいいものは舶来モノに限られており、それは庶民の生活の遙か彼方にそびゆるものであった。そう、ユニクロが台頭するまでは…。
「飾り気のないカッコよさ」という美意識に、日本が一周回ってたどり着くまでざっとこの映画から+35年はかかっています。ああ、今となってはリアルに感じにくいほど日本も進んでしまったけれど、「進んでいるガイコク」ってこういう感じなんだなあと遠き昭和を思うのであります。


ブリジット・バルドーの美しさは、ただそのお題だけでDjangoの店長と2時間話せるほどですが、彼女ほどバスタオルが似合う人はいない。彼女ほどふくれっ面の似合う人はいない。彼女ほど裸足が似合う人はいない。
彼女ほど裸の似合う人はいない。彼女ほど乱れ髪の似合う人はいなくて、そのエロさも、バレエで鍛え上げた抜群の姿勢のよさと品のよさで、まったくグロテスクにはならない。まさに神の愛し子、BB。
オードリー・ヘップバーンを含む往年の女優の誰が好きかと問うと、見た目だけで「ブリジット・バルドー」と答えた隊長は、よっくわかっていらっしゃる。
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夫役のミッシェル・ピコリは、「ロシュフォールの恋人たち」でシモン・ダムを演じていた俳優さん。しかもドヌーブの「昼顔」にも出ています。クエンティン・タランティーノに似ているM字型ハゲでなぜこれが夫役?と思いますが、名優のようです。
もし「軽蔑」(1500円)を買おうかどうしようか、迷っていらしたら是非Djangoで購入を!「2009年度 最も価値ある1500円」だと、わたしは確信しています。


WrittenBy: 櫻井香萌
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