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02/22:Catherine Deneuve

 京都みなみ会館にて「シェルブールの雨傘」(1964年)と「ロシュフォールの恋人たち」(1967年)のデジタルリマスター版を二本立てで鑑賞(ともに主演はカトリーヌ・ドヌーブ)。フランスは美とエスプリの国であることを再確認。さまざまなシーンについても「これが日本映画だったら涙・涙の演歌になるなあ」という部分が実にドライで、というか各自が自立した大人で、とてもすてきだった。


 なによりもすてきなのは、衣装と色彩美。全体的にパステル調なのに、きちんと挿し色を利かせているから、すっきりと美しい。「ロシュフォールの恋人たち」はドヌーブと実姉のフランソワーズ・ドルレアックの共演。顔立ちはドヌーブの方が美しいけれど、女優としての格はドルレアックの方が断然上。ドルレアックはこの映画の完成翌年、自動車事故で逝去するが、もし生きていたら、ドヌーブに今の地位があったか、どうか。存在価値として言えば、ドヌーブはスタアで、ドルレアックは女優だった。腿の付け根までスリットの入った赤いスパンコールドレスを着て舞い踊るシーンがあるが、あれはマリリン・モンローの「紳士は金髪がお好き」へのオマージュだろうか。「ロシュフォールの恋人たち」のギイ(主人公ジュヌビエーブの恋人)のロッカーの内ドアには控えめにモンローのピンナップが貼られていたし。こうしたリンクも監督デュミのちょっとした〈おあそび〉なのかもしれない。
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 「シェルブールの雨傘」は悲恋の恋物語、とは断じがたい。だって、ヒロインのジュヌビエーブは、一生懸命、「恋人のギイを愛している自分を愛している」ように見えたから。何かから逃げたくて、ジュヌビエーブはギイを愛する。だから、恋人たちの会話と悲観度は終始かみ合わない。「真っ白なガソリンスタンドを持ちたいんだ」と夢を語るギイに、「子供がガソリン臭くなるわ」と一刀両断、つまらなさそうに答えるジュヌビエーブ。
 別れのシーンで歌う「La gare,para Danielle Licari et Jose revaux」ではジュヌビエーブの「Jet'aime」とギイの「Mon amour」がエコーしてかなりくどい印象もある。堕胎が禁じられていた社会背景もあると思うけれど、なぜギイのこどもを宿しながら、ジュヌビエーブは2年を待つことができなかったのだろう?ギイを載せた列車が走り出すとそっと踵を返し、一人立ち去るジュヌビエーブは、決して振り返らない。日本映画なら、走って追うか、列車が見えなくなるまで見つめ続けるだろう。
 彼女が逃げたかったものは、シェルブールの田舎町なのか、母親の密着愛(「ええ、わたしたち、今まで離れたことがありませんの」と母は言う)なのか。ともかく、ジュヌビエーブは終始自分に拠って不幸そうである。でもあのエンディングシーンはさすが。あれは「自分を理解することができない美女とその女に翻弄されてゆえなく傷つけられた男、そして最も地味で自意識が低そうに見える顔面偏差値の低い女こそが、実は最もしたたかでうまくやりおおせる」という映画ではないか(現実社会もそう。華やかな美女ほど実は謙虚で、ほどほど~平均からは激しく水準以下、のほうが自分の顔面偏差値に傲慢不遜で無根拠な自信を抱いているケースはママある)。
 橋本治が『貞女への道』(河出書房・1991年)でこの映画について興味深い考察を示している。帰宅して読み返し、なるほどな、と納得。
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 「ロシュフォールの恋人たち」は文句なしの傑作。ジーン・ケリーのダンスは優雅の極みでまるで空気の上を舞っているよう。あれほど複雑で激しいステップを踏んでも上体が全くブレないのは神業。他のダンサーとはまるで格が違うことは素人目にも一目瞭然。他のダンサーが本当にモタモタして見えるほど、完璧なパフォーマンス。
 姉妹がまとうスパンコールのキャミソールやビビッド・カラーのワンピース、シースルーの部屋着なども違和感なく双方の魅力を引き立て、同じものをマドンナが着たらいかほどに下品であろうかと思う。いずれの映画もヒロインの母はシングルマザーで、経済的に自立したマダムだった。母と娘の物語として読むとしても、やはり日本国の価値観よりはかなりドライ。そしてフランス国では母は母でも終生〈女〉を生きている。そこがまた、いい。
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 カップケーキは大阪の「fait en bonbons」がドヌーブの二作品上映にコラボしたもの、というメモとともに売店に置かれていたもの。コラボというより、オマージュでしょうが。表現があつかましい。とてもかわいいカップケーキ。1個500円也。目にて楽しみ、求めず。
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WrittenBy: 櫻井香萌

02/09:奈良日和-2-

 立春過ぎて、春が来た。旧暦愛好者であるわたしはこの機に様々なものを改め、片づけ、決意する。よき一年となりますように。悔いのない人生を日々築きます、と。

 
 孟友山は今年から5年間のテーマは(はからずも)「一流の世界で女を磨く」ことだと言い、信頼する奈良の風水師坂口さんは「ま、今から5年間が愉しみやな」とニヤリとされた。両者口をそろえて「一番苦しい時期はようやく去った」とのこと。どん底は5年前から去年まで。院生期間か。まあ、そうだろうな。


 ちょっと立ち寄った奈良で風水師・坂口さんと二時間話し込み、近況報告。坂口さんはわたしの母とわたしの相性を見たとき、母に向かって「お母さん、この娘さんは世間一般の娘さんとは違います。あなたまともにこの娘さんにつき合ってたらしんどいだけやから、まあ、好きなようにさせたげて、お母さんは遠くから見てなはれ」と言ってくれた人。あの言葉でどれほど母娘関係が緩和されたことか。彼との相性は丹念に四柱推命で各星を調べ上げ、長い長い沈黙の後「結婚しい。これ以上の縁、この世にないわ」とケロリと言ってくれた人。わたしの特徴の3つは「打たれ強い・我慢強い・頑張り屋」、彼は「優しい・おおらか・慎重」なのだそう。四柱推命確立した人って、どうやってこの学の体系を導き出したのだろう?


 ちちろも、喫茶たまきも、朱鳥(あけみどり)も坂口さんもDjangoも、奈良の店はお客と店の距離が近くて、とってもおしゃべりだ。なんやかんやと話が延びて、つい時間が過ぎてしまう。その土地の人間でもないのに、実に大らかに受け入れてくれる。
 奈良は癒しを与えてくれる場所。京都は生きることを闘う場所。坂口さんのお店を出てDjangoに行き、ルグランを二枚求めてすこしおしゃべり。店長、相変わらず魂燃えてました。このポップが彼の命燃焼の証。ユニークで大好きなお店。


 真夏にダウンは着られない。物事にはすべからく時期がある。どれだけ望んでも切ながっても、合わないものを無理矢理なんとかしたって破綻するだけ。いつかその時期が来たらいつでも乗れるように。いまはその準備をしている時期。


 ビブレ横の夫婦饅頭さんの閉店間際、4個ください、と言ったら「もうおしまいだから」とオマケしてくれた。ほくほくとあったかい夫婦饅頭。小豆の嫌いなわたしが2個一気に間食。彼も2個一気に間食。また来ますね、と奈良に告げて、帰洛。

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店長のソウルフルな手製ポップ    あっさり粒あんの夫婦饅頭
WrittenBy: 櫻井香萌

02/09:愛について?

 友人の結婚式(再婚)に招待いただくことになった。昨年夏には「二度と結婚なんかしないわ!」と吼えてオヤジのように焼酎をあおっていた血中オトメ濃度ゼロの友人が。わたしから「オッサン」とタイトリングされていた友人が。人間って、わかんない。秋頃白目が見えなくなるぐらいまつげのエクステをして、爪も綺麗にしてるなと思った頃には、もうダーリンとのおつき合いがはじまっていたのだった。そして電光石火ご成婚。1月にはブルガリのリング(ピンクゴールド・日本限定)を指に煌めかせていた。嗚呼。あなたは年齢を明かさない方だけれど、人生のキメ場にブルガリを選ぶってのがいかにもバブル世代と拝察いたしましたことよ。


 しかし友人は、この結婚に繋がる恋をしてから確かに綺麗になった(ように思う)。そう思うとわたしはこの5年間の院生生活を人生最大身なりを構わず生きてきてしまった。
 人は見た目が全てではないけれど、表情・仕草・服装・色彩・化粧・髪型・持ち物・全体の印象を決めるさまざまな要素はすべてその人の知性や感性や美意識や見識を総合的に表象するもの。だから「人は見た目じゃない」と開き直ってずたずたの恰好をしている人は、わたしからすれば傲慢。誤解を恐れずに言えば、人は見た目が9割。あとの1割は声だ。「見た目」という選考の第一段階として好き・嫌い・どうでもいい・に分類され、そこから更に第二段階で人柄を判定される。だから「見た目」はとっても大事だということ。女はすべからく女装した人間なのだから、今年は女磨きに精を出そう。まずは、考えるときに眉間に皺を寄せるクセを直すことから。
 『女装する女』(湯山玲子・2008年、新潮新書)は本当に説得力のある本だったわ、とにわかに血中オトメ濃度がバウンドした友人に思う。


 かと思えば昨年結婚した年上の男友達が「ストレスがすごくて会って話がしたい!食事おごるから行こう!」と懇願して来たので言い値でおごることを条件に上から目線で同伴する。彼とは17年来のつき合いで、兄のような存在。彼以上にわたしを知る男性もいない程なのだけれど、奥様となった方を存じ上げないので、8月の結婚以来会うことを遠慮してきた。男友達はそういう場合が面倒くさい(というか厄介だ)。
 半年の間のストレス太りぶりはすさまじく、わたしは彼の胴をばん、と抱いて「何か入ってるの?」と真顔で聞いてしまったが、中身は全部純正体脂肪だった。すっごいの。YKKのファスナーはタフであることを認識した。初婚の奥様はばっちりバブル世代だが、その夜、奥様がセレクトしたというブルガリの結婚指輪を彼ははめていなかった。
 それにしてもなぜバブル世代はブルガリなの?あんなナットみたいなごっつい指輪、個性的すぎて似合う人は稀だと思うのに。でも女友達に会うときに結婚指輪を外すなんて妻への謀反の第一歩ですね。指輪をしたまま不埒を為すふてぶてしさを思うとまだまだかわいい反抗/犯行なのだけれど。


 わたしから彼へのバレンタインの贈り物は、黄金に輝くゴディバのおハイソな大箱(職場のオトコマエ上司がファンから頂いたものの残骸・6千円相当のショコラがお入り遊ばす箱)に明治の板チョコを10枚詰め込んで包み直したものを別れ際に渡しておいた。
WrittenBy: 櫻井香萌

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