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06/02:奈良とロスジェネ

 最近の若い人には〈自分〉がない。どうしてもっと〈自分〉の存在を世に問うような仕事をしたり、政治活動を行ったりしないのか、とアラウンド65の男性がいつもぼやいていた。全共闘のど真ん中にいた彼には「西暦2008年時点で50歳以下」の人間が理解出来ない。ヘルメット被って角材持って大学を封鎖して暴れ倒しても、結局は長い髪を切って就職して、金ツマやってバブルに踊って、熟年離婚して老々介護している世代の青春が「壮大なる甘え」としか理解できないわたしとはポジとネガだ。アラウンド65は、集団で何かを糾弾したり吊し上げたりデモったりするのが〈倫理〉だと思っている。でも、そういうやり方はあまりうまいやり方じゃないよね、とわたしは思っている。アラウンド65の世代はまじめだなあとさえ思っている。


 自称厭世家のアラウンド65は癌になったが、手術の施しようがなく、共生する他ない状態だった。そう解った時、風でも吹いているが如くに「もう十分生きたから、薬まみれで長生きしたくなんかないんだよ」と言った。おお、かっこいい、と思い、そういうものか、と感心した。しかし実際は、西の薬剤、東の漢方と万策巡らせ癌拡大の遅延を計っていたことを後から知った。なんだ、やっぱり死にたくないんじゃん、と思い、そうか、そういうものか、とやはり感心した。百万行の教典よりも、一億文字の哲学書よりも、ああした人間のナマな姿が、人間について何かを示すことがある。わたしは何事も見逃すまいと、ただじっとそうした人間のさまを凝視した。


 なぜ奈良に行くのか、とふと考える。わたしの好きな店やecritにリンクを張ってくれた店のオーナー、作家、主宰者は、だいたいロスジェネの世代である。前後5年を同世代と認定していいなら、みんな〈同世代〉だ。超就職氷河期のこの世代は、全共闘世代が結局は〈会社人〉に帰結して行ったのとは異なり、自分の、自分にしか出来ない仕事を、自分で造り上げてきた。
 

 「自分が興味を持ったこと、それを知りたい!追求したい!って気持ちだけでここまで来ました」というマフィン作家のnoriさん。「あんまり手を広げて自分の仕事の範囲を逸脱したくないから、この規模がちょうどいい」というまめすずさん。アルバイトをしながら自分の夢の結晶のようなレコード店を経営するDjangoのオーナー松田さん。「お酒が好きって気持ちだけで店、持ちました」とケロリと言ったapa apa cafeのオーナー金城さん。東京から奈良に引っ越し、手作りカフェを手作り中のパビリオンブックスさん。町家に一切手を加えずにカフェにしたよつばカフェさん。
 

 みんな、自分をしっかりと持って、自分で自分の仕事を創っている。これって全共闘世代が夢見た生き方のひとつじゃないの、とわたしは人ごとながら誇らしい。当然伴うであろうリスクと孤独をガッツリ引き受けながらも黙々と〈自分〉を貫く媚びない強さに、わたしは惹かれる。みんなカッコいい。アラウンド65は、こうした〈世界〉を知らずに自分の周囲だけを〈世界〉として世を断じるから、こうした齟齬に陥るのだろうか。


 大学に5年行って、保険会社の営業と百貨店のショップ店員と祇園のホステスと国内留学的結婚と公務員を経て、現在研究者を目指すわたしの人生も一種特殊なものだけど、その特殊さは、いまだ実を結んでいないために、〈意味のある特殊〉なのか〈ただの変わり者〉なのかの決着がまだ付いていない。
 わたしの人生はまだ揺れに揺れて明日をも知れない。だから、心がしおれそうになったり、軟弱になってしまった時は、奈良にゆく。黙々と自分の人生を自力で切り拓いて行く、奈良の同世代のアーティストから力を貰うために、奈良にゆくのだと思う。京都の若手とはまたひと味違う、地味ながら滋味のある彼らの仕事に、わたしは明日を生きるための力をもらうのだと思う。
WrittenBy: 櫻井香萌

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