夏の終わり-1-

IMG_0213.JPG
わたしが生まれた31年前のこの日に、悟は地球のどこかで31歳の誕生日を迎えていた。誰とどこで、どんな一日を過ごしたかは知らない。いつか聞いてみると、「最初に入った会社を辞めて、ぶらっとインドで遊んでたような気がする」と、自分の過去のことなのに、半疑問形だった。悟が31歳だったのは、昭和40年代の話だ。
 「もうこの年になると、記憶は一年刻みではなくなるんだ。年齢をくくる幅がすごくざっくりしてしまうんだ。自分の人生を帯みたいなものにざざっと羅列して、日本史年表みたいにひとつひとつの時代に対して、自分なりの印象を抱き、名付けて行くんだ。何々の時代って具合に。でも、それは過去に関してだけだ」


「いまの自分の年に関しては、一歳上か、下かにはわりとこだわるし、気になるもんだ。一年多いか少ないかで、命の残量はずいぶんと違ってくるからさ。なんだか妙な感じだけど、自分がこんな年になるまで地球上をうろついてきたことが割りにショックだな。君にはそんなショックは、まだわからないだろうけれど」
悟はそういって右斜め上の方を見上げた。それは何かの感慨に浸るときの、彼の癖だった。
悟は今年で62歳になる。仏師を生業にする彼には定年がない。人付き合いが苦手であることや、日常生活に関しては無責任に近い大雑把な性格である悟についてこられる者はなく、昔は何人か弟子を取っても、誰も悟の元には留まらなかった。


仏師というと作務衣を着たストイックな職人、という感じが先に立って聞こえがいいが、実際には儲かるような仕事ではないし、よく小説なんかで読むように、木の中に宿る仏の姿を鐫で起こすというような、精神性の高い仕事もしていない。
本当に大切な仏像は国の施設で修理されているから、悟のようなフリーの仏師の元には、あちこちの名も無きはふれた仏像が、簡易な梱包でよろよろと送り込まれてくるだけだ。受け取った悟は、そのはふれた部分を再現すべく、黙々と原型に忠実に修理していく。特にそうした作業に当たるための、精進潔斎なんかをしているところも、見たことがない。


さすがに国宝級の秘仏が彼のもとにくることはないが、それなりのものが悟の手にかかっているのを見ると、それは神でも、仏でもなく、ただの金属製品にしか見えないのは、素人目になんだか拍子抜けするような光景だった。あるときわたしがそうつぶやくと、悟は「ぼくのところにくるまえに、寺院でお性根を抜いてもらってくるんだよ。そういう作法があるんだ。だから君の見立ては正しいな。お性根を抜いてしまえばただの金属製品だね。でも古美術品の値打ちぐらいはある」と言って、わらった。


信仰の対象としての仏像と、古美術品としての仏像を分かつものは、案外その程度のものなのかも知れない。けれど、それこそが信仰の対象としての不可重量的価値でもあるのだろう。お性根を抜かれた仏像は、貴金属としてぽっかりと何かを喪ったような顔で、作業場に立っている。


悟と出会ったのは、6年前。わたしはなら町で大正時代の町家を借りて、ちいさな喫茶店を営んでいる。悟はその客の第一号だった。店の名前は「かのこ」という。わたしの名前をそのまま店の名前にした。
なら町の歴史は、奈良の歴史と同じだけ古い。平城京の外京としてさまざまな寺社仏閣が建ち並んだこのなら町は、行政上の呼び名としては正式なものではない。けれど、地元の人はなら町という言い方以外はしないし、その言葉に特別の意味を持たせている。
>>next:夏の終わり-2-
| MagazineTopへ

▶Home > 夏の終わり

▲Page Top

Magazine Contents List
全て開く | 全て閉じる