臙脂の月-3-

夜明け前の森は神韻瀟々としていて、まるで深い水の底に似ている。わたしは、一年間かかって貯めた睡眠薬を持って、その森の中に紛れてゆく。闇と木の、区別も付かないような深い深い森の奥。太陽の射すことが無いこの聖域に、樹の魂は宿っているのだろうか。
一歩、一歩、静かに踏んで逝く。青衣の女が、袖をひるがえし、裾を靡かせながらわたしを森の奥、また奥へとみちびいてゆく。これは夢なのか、現実なのか、それともわたしが見たいと願ったイマージュなのか。そんなことを判別しても、いまは何の意味もない。


どれくらい歩いただろう。四方を闇に囲まれたまま、わたしは立ちつくした。女は消えてしまい、もう現れてはくれない。あの女は、わたしそのものだったのか。だとしたら、あの青衣の女は、男たちとの関係に自分を損なうことでしか生きることが出来なかった、すべての女たちにかぎろうイマージュだったのだろうか。
もう一歩も進めないところまで歩いたわたしは、手探りで座り、ゆっくりと仰向けに寝た。人間の魂は、肉体を離れると自由の身になり、行きたいところはどこにでも行くことが出来ると僧侶の法話で聞いたことがある。本当かどうかはわからないけれど、それを信じることがわたしの救うから、いまのわたしは、その言葉を信じる。


樹がわたしの側に来てくれるように、そう願いながら、ラムネを噛むみたいに三錠ゆっくりと呑んだ。あと10分したら、残りの97錠を呑もう。そうしたらわたしが次に目を醒ますのは、生まれ変わった次の世だ。
仰向けになって上を見ながら、仰ぎ見た大松明を思った。樹の横顔。顎のひきしまった、神経質なあの横顔。線の細い、静かな意志の漲るあの肩の線。
目がぬばたまの闇に慣れてくると、木と木の間に空が見えた。すこしづつ明るくなっていこうとしているのが、ほのかにわかる。木の繁りが、影絵のように視界を遮る。少しだけのぞく薄藍の空の中に、わずかに忘れ物のようにして、月がひっかかっていた。臙脂色の月だった。えんじいろをしている、とわたしの声が耳の奥に響いた途端、意識が途絶えた。


結局、わたしは数時間こんこんと眠り続けただけで、薬が切れるとあっさりと目を醒ました。気が付いたときは頭が重く吐き気がして、目の奥がじんじん痛んだ。二日酔いの感じに似ていた。ゆっくりと身を起こすと、思ったほど森の奥には入っていなかったことに気づいた。
あんなに足を前に前にと進めていたのに、いったいわたしは何をしていたのだろう。日はすっかり高く昇って、遠くにはいつもの飛火野の景色が広がっていた。なんだか気が抜けたような、しらけた思いでわたしは立ち上がった。 
「たつる」。声を出そうとしたけれど、やっぱりいつもどおり、どうにもならなかった。死にかけの鳥のような無惨な吐息だけが、すこし漏れた。たつる。樹。やっぱりわたしは、どこか間が抜けている。自殺するつもりが、普通に寝て、起きただけだった。あのまま死んでいたら、ちょっとカッコよかったのに。遺書だって、書いたのに。樹のようには、なかなかいかない。
視界の遠くで親子連れがスリスビーをして遊んでいるのが見えた。今日は日曜日だったと気づく。若い夫婦がちいさな子どもを連れて遊ぶのに、飛火野はぴったりだ。かつて飛火野は、墓場であったとどこかで聞いたことがある。身分の低い、兵士階級の者たちの墓場で、火の玉が飛び交ったことから飛火野という名がついたと言う。
けれど、いまではすっかり家族の憩う場になってしまい、霊魂も晴れがましすぎて飛ぶことは出来ないだろう。だからあの森の中に死者の魂が宿るというのは、本当のことかも知れないと思う。その深さの中に、退いていったのだと思う。


煙草に火を付けて肺の奥まで吸い込みながら、親子が遊ぶ姿を眺める。やわらかくて暖かな風景。静かな幸せ。けれど、わたしの人生のスケジュールには、もうあの光景は組み込まれていない。
樹がその幸福のイマージュの相手になるはずだった。でもそれは、わたしがひとりで予定していたまま、夢のままで潰えた。わたしは幻肢痛のようなものにこころを灼かれながら、ぼんやりとその光景を眺めた。理屈抜きに、単純にまぶしかった。もう充分だと思っても、何故か目を離すことが出来なかったのは、自虐に似ているのだろうか。


あの青い衣の女も、あるいは男に先立たれた女だったのか。あるいは自分を捨てて、男が僧籍に入り、俗世とともに捨てられたのだったろうか。男が自分の意志をそのままに貫こうとすれば、いつもその側にいるは、真っ先に苦痛を被る。生身のままで、苦痛を被る。男は女の嘆きが深ければ深いほどに、その甲斐を感じて、一層強固に意志を貫く。その悪果は、輪廻のようにふたりを巡り続ける。そして、永劫に留まらない。


女が纏う衣の青は、諦めと哀しさを含んで、男の苛烈なまでの傲岸を逆照射する。その劫火は女の存在をまる抱えにして焼き尽くし、男の決断を肯う作用しかもたらさない。そんなことよりも、どんな世俗の垢にまみれても、男と共に生きていきたかった女のこころは、何故男には現実として響かないのか。わたしが見た、まぼろしのような臙脂色の月は、そうした怨嗟にまみれてきた、女の声に爛れていたように直感したのは、ただの安易な錯覚か。


たつる。樹。死ねる人はいいね。わたしは美化もしなければ、譏りもしない。ただ、死んでいける人はいいなあって、普通に思うんだよ。わたしはあの月が、どうして臙脂色に燃えていたかを知りたくて、多分この先もまた、生きてゆくのだと思うから。
お水取りが果てて、奈良の町にもまたあたらしい春が訪れた。でも、春が来たと言ったって、それは昨日の今日なのだ。
樹がいない町は普段と変わりなく穏やかで、そしてわたしはまたひとつ、年を取った。 

   
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