香炉―1

真夏のならは淡々と鮮やんでいて、その風景の深さと静かさは太陽の陽射しの強さに比例する。わたしは毎日南半田町の自宅から観光客には知られていない裏道を辿り、戒壇院前を通過して東大寺の北側を歩くことを日課にしていた。北半田町の自宅を出てから東に向かい、信号のない国道を横切って、白いアパートの横に吸い付いているような細路地にはいる。すこし歩くと杜の中の隠れ家のような喫茶店がある。無数の万華鏡を展示している不思議な喫茶店で名前はしろあむという。
 

関東弁で話す優雅なマダムがオーナーで、珈琲を注文してアールデコ調の椅子に腰掛けた途端、「あなた、どこからいらっしゃっいましたか」と丁寧なのか尊大なのかよくわからない話方で話しかけられた。京都で暮らしているがちょっとした仕事で奈良に来ましたと答えると、京都ならどこそこに万華鏡のミュージアムがあるから是非いらっしゃい、と何度も念を押された。珈琲の味もカップの趣味もそのミュージアムの名前も覚えていないが、マダムの主客顛倒した接客も、ひとつの技術だと感心したことしか記憶にない。珈琲を提供する店というより、マダムの美意識を体現した館、と言った方が正確だと思う。最低でも五千円をくだらない万華鏡がたくさん並べられていて、着飾った主婦っぽい女性たちがいろいろ手にとって見入っては嬌声をあげていた。場違いな思いを抱きながらお店をあとにした。二度目はまだ訪れていない。
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しろあむの前の小さな坂道を上り、水門町の古道具屋をのぞきながらちいさな石橋を渡って左折してすぐのよし川で蕎麦の昼食を取る。季節の折々に取り替える手製の花器がいつみても渋くていい。品書きは3品ほどしかない店なので、わたしの注文も、すぐに決まる。よし川はいつきても客は少ないが、味はいい。今日ははわたしと作務衣を着て頭を晒の手ぬぐいで縛ったお坊さんらしき青年しかいなかった。その青年は気配すらもらさぬ様子で蕎麦を食していたので、店を出て行っても物音もしなかった気がする。わたしが本から目を上げた時には、もう青年の姿は消えて器だけが卓上にあった。
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よし川のいいところは、静かで商売気がないところと蕎麦の味、そして水の音がすること。石橋の下を流れる小川の名前は知らないが、東大寺前から脈々と流れる小さい清水がこの店の下には流れている。水の音を聴きながら食事をするなら、ひとりに限る。他人とあれこれ話ながら食事をするのが元々苦手な質なので、余計にそう思う。実際はどんな質の水がどこからどこに向かって流れているかはわからないし、そう清らかな水でもないのかも知れない。けれど源から終着点に向けて淀むことなく流れる水の循環の一部を耳でのみ味わうのも、ちょっとしたささやかな贅沢だと思ったりする。が、池波系だとからかわれたくないからあまり人には言わない。水音がの響きのささやかさが耳朶に心地いい。そして店は静かで蕎麦は旨い。ただそれでいい。見たいものを見たいようにだけ見たい。それは現実の人間関係や社会の中では決して叶わないことだから、余計に。

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